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イベント名発生年月条件結果備考

歴史イベント

S1信長元服~S2尾張統一

イベント名発生年月条件結果備考
長尾景虎起つ-・シナリオ開始から30日以上経過・長尾晴景が長尾家当主・上杉定実が越後上杉家当主・長尾景虎、宇佐美定満、柿崎景家,直江景綱が長尾家所属・上田長尾家が健在・長尾家の当主が長尾景虎に・長尾家と上田長尾家の外交関係が破棄される
(追加条件)・長尾房長が上田長尾家当主・長尾政景が上田長尾家所属(追加)長尾政景が上田長尾家当主に
長尾政景降伏-・長尾家の当主が長尾景虎 ・長尾政景が上田長尾家の当主または所属・仙桃院が長尾家所属上田長尾家の城と武将が長尾家に加入
・坂戸城が上田長尾家所属 ・上田長尾家の城数が1 ・上田長尾家の城が長尾家と交戦中
河東一乱-・シナリオ開始から30日以上経過 ・北条家の当主が北条氏康 ・今川家の当主が今川義元 ・武田家の当主が武田晴信北条家と山内上杉家,扇谷上杉家,古河足利家の外交関係が破棄される
・山内上杉家の当主が上杉憲政 ・扇谷上杉家の当主が上杉朝定 ・古河足利家の当主が足利晴氏山内上杉家,扇谷上杉家,古河足利家が12か月の同盟を結ぶ
狐橋の戦い-・「河東一乱」が発生済み・興国寺城が今川家所属に 北条家と今川,武田家が12か月の同盟
河越合戦1546年5月・「狐橋の戦い」が発生済み ・河越城の城主が北条綱成 ・北条家の当主が北条氏康・上杉朝定が死亡 ・扇谷上杉家,古河足利家の城と武将が北条家に加入
・山内上杉家の当主が上杉憲政 ・扇谷上杉家の当主が上杉朝定 ・古河足利家の当主が足利晴氏・横瀬成繁,成田長泰,成田泰季,大石定久,小田朝興が北条家に加入
第十三代将軍就任1546年12月・二条御所が足利家所属 ・足利家の城数が2以上・二条御所が細川家所属に
・足利義晴が足利家の当主 ・足利義藤が足利家所属 ・細川藤孝が足利家所属・足利義藤が足利家の当主に
稙宗と晴宗1548年1月・伊達家の当主が伊達晴宗 ・伊達稙宗家の当主が伊達稙宗伊達稙宗家の城と武将が伊達家に加入
・「第十三代将軍就任」が発生済み ・足利家の当主が足利義輝
関東管領追放-・山内上杉家の当主が上杉憲政 ・長尾家の当主が長尾景虎 ・北条家の当主が北条氏康・山内上杉家の城と武将が北条家に加入 ・真田幸隆が武田家に加入
・箕輪城が山内上杉家所属 ・長野業正が山内上杉家所属 ・山内上杉家の城数が4以下 ・山内上杉家の城が北条家と交戦中・長野家が独立 ・上杉家と長野家が120か月の同盟を結ぶ
細川晴元失脚1547年5月~1548年10月・三好家と細川家が同盟,従属中 ・三好家の当主が三好長慶 ・細川家の当主が細川晴元・三好家と細川家の同盟,従属が破棄
・細川典厩家の当主が細川氏綱 ・三好政長が細川家所属・三好家と細川典厩家が24か月の同盟を結ぶ
江口の戦い1547年7月~1549年6月・三好家の当主が三好長慶 ・細川家の当主が細川晴元 ・細川典厩家の当主が細川氏綱 ・足利家,六角家が滅亡していない・細川家の武将と城が三好家に加入
・細川典厩家の当主が細川氏綱 ・三好家と細川典厩家が同盟中 ・三好政長が細川家所属・三好政長が死亡 ・細川晴元が足利家に加入
三好政権始動-・「江口の戦い」が発生済み ・三好家と細川典厩家が同盟中 ・三好家の当主が三好長慶 ・細川典厩家の当主が細川氏綱細川典厩家の武将と城が三好家に加入
帰蝶輿入れ・1548年2月~12月・那古野城の所属が織田家 ・稲葉山城の所属が斎藤家 ・織田家の当主が織田信秀 ・斎藤家の当主が斎藤利政 ・織田信長,帰蝶が婚姻していない織田信長と帰蝶が婚姻し織田家と斎藤家が婚姻同盟を結ぶトロフィー「帰蝶輿入れ」対象
松平家滅亡1549年3月・松平家と今川家が同盟,従属中 ・松平家の当主が松平広忠・松平家の城と武将が今川家に加入
・今川家の当主が今川義元 ・岡崎城が松平家所属・松平広忠が死亡
キリスト教伝来1549年8月-政策「南蛮交易」実施可能発生切替不可(発生禁止に出来ない)
砥石城落城-・村上家の当主が村上義清 ・村上家の城数が1 ・砥石城の所属が村上家・村上義清,須田満親,清野清秀が長尾家に加入
・武田家の当主が武田晴信 ・真田幸隆が武田家所属 ・長尾家の当主が長尾景虎・村上家の武将と城が武田家に加入
善得寺の会盟1554年・今川家の当主が今川義元 ・太原雪斎,今川氏真,嶺松院が今川家所属 ・武田家の当主が武田晴信 ・武田義信,黄梅院の所属が武田家所属・今川家,武田家,北条家が婚姻同盟
・北条家の当主が北条氏康 ・北条氏政,蔵春院の所属が北条家 ・今川氏真,武田義信,北条氏政,嶺松院,黄梅院,蔵春院が婚姻していない・今川氏真と蔵春院,武田義信と嶺松院,北条氏政と黄梅院が婚姻
竹千代元服1555年・今川家の当主が今川義元 ・「松平家滅亡」が発生済み松平元康が今川家に加入
雪斎の死1555年・今川家の当主が今川義元 ・太原雪斎の所属が今川家太原雪斎が死亡
厳島の戦い1555年10月・毛利家の当主が毛利元就 ・吉川元春,小早川隆景が毛利家所属 ・大内家の当主が大内義長 ・陶晴賢が大内家所属 ・毛利家と大内家が同盟していない陶晴賢が死亡
大内家滅亡-・「厳島の戦い」が発生済み ・大内家の城数が1 ・大内家の城が毛利家と交戦中・大内義長が死亡
・大内家の当主が大内義長 ・毛利家の当主が毛利元就・大内家の城と武将が毛利家に加入

S3桶狭間の戦い~S4信長包囲網

イベント名発生年月条件結果備考
桶狭間の戦い1560年5月・織田家の当主が織田信長 ・清州城の所属が織田家・今川家の当主が今川義元・今川義元が死亡 ・鳴海城の所属が織田家にトロフィー「桶狭間の戦い」対象
・今川義元が宗三左文字を所持 ・今川氏真,松平元康が今川家所属 ・岡崎城,鳴海城が今川家所属今川家の当主が今川氏真に
義元の死1560年5月・織田家の当主が織田信長 ・「桶狭間の戦い」発生済み・織田信長が宗三左文字を入手
松平家独立1560年5月・松平元康が今川家所属 ・岡崎城が今川家所属 ・「桶狭間の戦い」発生済み・松平家が独立 ・織田家と松平家が24か月の停戦
軍神、北より来たる1560年7月・「桶狭間の戦い」発生済み ・上杉家の当主が上杉景虎 ・北条家の当主が北条氏康 ・北条綱成が北条家所属特に無し大志からの流用
北条征伐1560年8月・「軍神、北より来たる」発生済み ・今川義元が死亡している結城家,佐野家,成田家,太田家が北条家との関係を破棄
・結城家,佐野家が北条家と同盟中 ・成田家,太田家が北条家に従属中長野家,太田家,里見家,佐竹家,宇都宮家,結城家,那須家,小田家,成田家,佐野家が長尾家と12か月の同盟
尼子家滅亡-・毛利家の当主が毛利元就 ・毛利隆元が毛利家所属 ・尼子家の当主が尼子義久・毛利隆元が死亡
・尼子家の城数が3以下 ・尼子家の月山富山城の耐久が大幅に減少 ・尼子家の城が毛利家と交戦中尼子家の城と武将が毛利家に加入
崩壊の序曲1561年4月・三好長慶が三好家当主 ・十河一存,松永久秀が三好家所属十河一存が死亡大志からの流用
暗闘1562年4月・三好長慶が三好家当主 ・三好実休,松永久秀が三好家所属 ・十河一存が死亡している三好実休が死亡
絶たれた未来1563年5月・三好長慶が三好家当主 ・三好義興,松永久秀,十河義継,三好存保が三好家所属三好義興が死亡
十河一存,三好実休が死亡している十河義継が三好義継に,三好存保が十河存保に改名
日本の副王1564年6月・三好長慶が三好家当主 ・三好義継,松永久秀,安宅冬康が三好家所属 ・十河一存,三好実休,三好義興が死亡している三好長慶、安宅冬康が死亡今作では松永家は独立しない
永禄の変1562年6月~1565年6月・「日本の副王」発生から30日以上経過・足利家の当主が足利義輝・足利義輝が死亡 ・細川藤孝が行方不明に
・松永久秀,松永久通,三好長逸,三好政勝,岩成友通が三好家に所属 ・二条御所が足利家所属 ・細川藤孝が足利家所属・足利家の城と武将が三好家に加入
官兵衛との出会い-・シナリオ開始から30日以上経過 ・黒田官兵衛が赤松家所属 ・織田家の当主が織田信長 ・羽柴秀吉が織田家所属 ・二条御所が織田家所属赤松家,別所家が織田家に従属
義信事件1565年・武田信玄が武田家の当主 ・武田義信,飯富虎昌,飯富昌景,嶺松院が武田家所属・武田義信,飯富虎昌が死亡 ・飯富昌景が山縣昌景に改名武田家と今川家の婚姻が破棄され12か月の同盟に切り替わる
・今川義元が死亡している ・今川氏真が今川家の当主・嶺松院が今川家所属に
三国同盟の終焉1568年・武田信玄が武田家の当主 ・今川氏真が今川家の当主 ・蔵春院が今川家所属武田家と今川家,北条家の関係を破棄今作では黄梅院は死亡しない
・北条氏康が北条家の当主 北条氏政,黄梅院が北条家所属
武田・徳川の盟約1568年・「三国同盟の終焉」が発生済み ・武田信玄が武田家の当主 ・徳川家康が徳川家の当主・武田家と徳川家が12か月の同盟
鞆の御所-・「義昭流転」が発生済み 吉田郡山城,神辺城が毛利家所属・織田家と毛利家の同盟が破棄 ・足利義昭が当主の足利家が誕生 ・足利家と毛利家が60ケ月の同盟
・毛利輝元が毛利家の当主 ・織田信長が織田家の当主・本願寺家と鈴木家が60か月の同盟 ・毛利家,本願寺家,上杉家が60か月の同盟
鳥無き島の蝙蝠-・シナリオ開始から30日以上経過 ・長宗我部家の当主が長宗我部元親 ・織田家の当主が織田信長 ・明智光秀が織田家所属長宗我部家と織田家が60か月の同盟大志からの流用
長篠の戦い1575年6月・武田信玄が死亡している ・武田家の当主が武田勝頼 武田家の城数が3以上・岩付城の所属が織田家に ・二俣城の所属が徳川家にトロフィー「長篠の戦い」対象
・織田家と徳川家が同盟中 ・長篠城の所属が徳川家真田信綱、真田昌輝、内藤昌豊、和田業繁、秋山信友、山縣昌景、馬場信春が死亡する
七尾城落城-・シナリオ開始から30日以上経過・上杉家の当主が上杉謙信 ・七尾城の所属が畠山家 ・七尾城が上杉家と交戦中畠山家の城と武将が上杉家に加入
手取川の戦い-・七尾城の所属が上杉家 ・「七尾城落城」が発生済み ・上杉家の当主が上杉謙信 ・織田家の当主が織田信長 ・柴田勝家が織田家所属-
秀吉、播磨赴任-・「手取川の戦い」発生済み ・足利家の当主が足利義昭特に無し
三木合戦1578年・黒田官兵衛,荒木村重が織田家所属 ・三木城が別所家所属・別所家と織田家の同盟が破棄 ・荒木家が独立
・別所家と織田家が同盟,従属中 ・別所長治が別所家の当主・黒田官兵衛が行方不明に 足利家,毛利家,別所家,荒木家が48か月の同盟
第一次木津川口の戦い1577年~1580年・「鞆の御所」発生済み ・足利家の当主が足利義昭 ・本願寺家の当主が本願寺顕如毛利家と本願寺家が同盟
・織田家の当主が織田信長 ・足利家と毛利家が同盟中 ・織田家が毛利家,本願寺家,足利家と同盟を結んでいない
御館の乱1578年・上杉家の当主が上杉謙信 ・武田家の当主が武田勝頼・上杉謙信が死亡する ・上杉家の当主が上杉景勝に ・沼田城が北条家所属に
・北条家の当主が北条氏政 ・蘆名家,武田家,北条家が従属していない・上杉家と武田家,北条家の同盟が破棄 ・山内上杉家が独立 ・山内上杉家と蘆名家,北条家が60か月の同盟 ・山内上杉家と武田家が60か月の同盟
景勝か、景虎か-・「御館の乱」発生から90日以上経過 ・上杉家の当主が上杉景勝 ・山内上杉家の当主が上杉景虎・武田家と山内上杉家,北条家の同盟が破棄 ・武田家の金銭が金銭が10,000増加
・春日山城の所属が上杉家 ・武田家の当主が武田勝頼・上杉景勝と菊姫が婚姻し上杉家と武田家が婚姻同盟
上杉景虎、散る1578年~1599年・上杉家の当主が上杉景勝 ・山内上杉家の当主が上杉景虎・上杉景虎,上杉憲政が死亡
・山内上杉家の城数が1 ・山内上杉家の城が上杉家と交戦中・山内上杉家の城と武将が上杉家に加入
家康と信康1579年・徳川家の当主が徳川家康 ・織田家の当主が織田信長 ・武田家の当主が武田勝頼-
・浜松城・岡崎城・二俣城が徳川家所属 ・徳川信康,瀬名姫,徳姫が徳川家所属 ・織田家と徳川家が婚姻同盟中
信康事件-「家康と信康」が発生済み・徳川信康,瀬名姫が死亡 ・徳川家が織田家に従属
甲州征伐-・「長篠の戦い」が発生済み ・織田家が美濃の城を3以上所持 ・徳川家が遠江の城を2以上所持・武田家と織田家,徳川家,北条家の同盟が破棄 ・木曽家が独立 ・木曽家が織田家に従属
・躑躅ヶ崎城と木曽福島城の所属が武田家 ・木曽福島城が織田家と交戦中岩村城・飯田城・高遠城・上原城の所属が織田家に・蒲原城の所属が徳川家に
武田氏滅亡-・「甲州征伐」が発生済み ・武田家の城数が3以上5以下武田勝頼,小山田信茂,武田信豊,土屋昌恒,武田信廉,長坂光堅,仁科盛信,跡部勝資が死亡
・砥石城の所属が武田家 ・武田家の城が織田家と交戦中・真田家が独立 ・真田家が織田家に従属 ・武田家の城と武将が織田家に加入

S5夢幻の如く以降

本能寺後の覇権争いと徳川との因縁

イベント名発生年月条件結果備考
本能寺の変1582年6月・織田当主が信長
・信長が観音寺城(安土城)城主
・二条城,北ノ庄城,岐阜城,姫路城,田丸城が織田所属
・織田信忠,織田信雄,羽柴秀吉,柴田勝家,明智光秀が織田所属
・織田信長、織田信忠、森蘭丸、村井貞勝、毛利新介、織田信澄が死亡
・織田家の当主が織田信雄に
トロフィー「本能寺の変」対象
乱世、再び1582年6月(本能寺の変と同時発生)・織田と徳川,北条,真田,木曾,成田,宇喜多,十河,筒井の外交関係が解消
・明智家、羽柴家、柴田家が誕生
・宇喜多,十河が羽柴に従属
・成田が北条に従属
・井戸良弘が筒井家所属の場合明智家所属に変更
野望を継ぐ者1582年7月・自勢力が明智家でない
・「乱世、再び」が発生済み
・羽柴当主が秀吉、明智当主が光秀
・斎藤利三が明智家に所属
・毛利家が健在
・明智光秀,明智秀満,斎藤利三ほか5名が死亡
・明智家の城と武将が羽柴家に加入
・筒井家が羽柴家に従属
毛利が滅んでいると起きない
鞆御所,吼える1582年7月・「野望を継ぐ者」発生済み
・羽柴当主が秀吉、足利当主が義昭
特に無し
清州会議1582年7月・「野望を継ぐ者」発生済み
・羽柴当主が秀吉、柴田当主が勝家、織田当主が信雄
・丹羽長秀、黒田官兵衛が羽柴家所属
・織田信孝、池田恒興、お市が織田家所属
・清須城が織田家所属
・羽柴家の城数が2以上
・織田家の城数が6以上
・お市、柴田勝家が婚姻していない
・織田家、柴田家、羽柴家が従属していない
・柴田勝家とお市が婚姻し織田家と柴田家が婚姻同盟
・羽柴家と織田家が24か月の同盟
・堀秀政、蒲生氏郷、池田恒興、稲葉一鉄等17名が織田家所属から羽柴家所属に変更
・石山御坊、岸和田城、高屋城、信貴山城、日野城が織田家所属から羽柴家所属に変更
・小谷城が羽柴家所属から柴田家所属に変更
・織田家の本拠が清須城に変更
お市が既婚だと起きない
上田城築城1582年7月から83年1月・真田家の当主が真田昌幸
・真田信之、真田幸村が真田家所属
・砥石城が真田家所属
・砥石城が上田城に改名済みでない
砥石城から上田城に改名
天正壬午の乱1582年7月から83年6月・シナリオ開始から30日以上経過
・「本能寺の変」が発生済み
・真田当主が昌幸、徳川当主が家康、北条当主が氏政、上杉当主が景勝
・川尻秀隆、滝川一益、森長可が織田家所属
・北条氏直が北条家所属
・督姫が徳川家所属
・北条氏直、督姫が婚姻していない
・北条が相模の、上杉が越後の、徳川が三河と駿河の城をそれぞれ過半数以上所持
・真田、上杉、北条、徳川が従属していない
・砥石城が上田城に改名済み
・織田家の所持する城が2以上
・沼田城が織田または北条所属
・沼田城が真田所属に
・高遠城、飯田城、小諸城、新府城、岩殿城が織田所属の場合徳川所属に
・箕輪城、国峯城、新田金山城が織田所属の場合北条所属に
・屋代勝永ら3名が上杉所属に
・犬甘久知ら8名が徳川所属に
・北条高広ら4名が北条所属に
・真田家が上杉家に従属
・木曾家が徳川家に従属
・北条氏直と督姫が結婚し北条と徳川が婚姻同盟を締結
真田が従属していると起きない
第一次上田合戦-・「上田城築城」が発生済み
・85年8月または徳川家が上田城を攻城中
・真田家の当主が真田昌幸
・徳川家の当主が徳川家康
・上杉家の当主が上杉景勝
・真田信之、矢沢頼康が真田家所属
・鳥井元忠、大久保忠世、平岩親吉が徳川家所属
・上田城、沼田城が真田家所属
・徳川と真田が隣接
・徳川と真田に外交関係がない
・北条家が健在
・羽柴家が従属していない
・真田家、上杉家が羽柴家に従属
・徳川家と真田家が12か月停戦
上級だと82年秋から冬には起きる
賤ケ岳の戦い1583年4月・羽柴家の当主が羽柴秀吉
・柴田家の当主が柴田勝家
・織田家の当主が織田信雄
・中川清秀が羽柴家所属
・織田信孝、滝川一益が織田家所属
・佐久間盛政、前田利家が柴田家所属
・柴田家が越前の城、織田家が美濃の城、羽柴家が近江の城を1つ以上所持
・北ノ庄城が柴田家所属
・前田利家ほか5名が羽柴家に所属変更
・佐久間盛政、中川清秀が死亡
羽柴を近江から追い出せば起きない
北ノ庄攻め1583年4月・「清須会議」「賤ヶ岳の戦い」が発生済み
・羽柴家の当主が羽柴秀吉
・柴田家の当主が柴田勝家
・柴田勝家とお市が婚姻状態
・北ノ庄城が柴田家の所属
・柴田家が滅亡し城と所属武将が羽柴家に加入
・柴田勝家,お市が死亡
・柴田家の城と武将が羽柴家に加入
実質的に柴田は強制滅亡
小牧長久手の戦い-・1584年3月または「北ノ庄攻め」が発生済み
・織田家の当主が織田信雄
・羽柴家の当主が羽柴秀吉
・徳川家の当主が徳川家康
・長宗我部家の当主が長宗我部元親
・北条家の当主が北条氏政
・佐々成政が羽柴家所属
・本多忠勝が徳川家所属
・安土城と富山城が羽柴家所属
・織田、徳川、北条、長宗我部が従属していない
・佐々家が誕生
・津川義冬が死亡
・織田と羽柴、徳川と羽柴の外交関係が解消
・織田と徳川、織田と長宗我部、織田と北条、佐々と徳川が12か月同盟
・木曾家が羽柴家に従属
「北ノ庄攻め」と同時に起きる
三河中入り-・「小牧長久手の戦い」発生から30日以上経過
・羽柴家の当主が羽柴秀吉
・徳川家の当主が徳川家康
・織田家の当主が織田信雄
・羽柴秀次、池田恒興が羽柴家所属
・服部半蔵、本多忠勝が徳川家所属
・森長可が織田家または羽柴家所属
・池田恒興、森長可が死亡
頭越しの講和-・「小牧長久手の戦い」発生から30日以上経過
・「三河中入り」が発生済み
・羽柴家の当主が羽柴秀吉
・徳川家の当主が徳川家康
・織田家の当主が織田信雄
・本多忠勝、本多正信が徳川家所属
・羽柴秀次が羽柴家所属
・浜松城が徳川家所属
・織田家、羽柴家、徳川家が従属していない
・織田家と羽柴家が36か月同盟
・徳川家と羽柴家が48か月同盟
・筒井家が滅亡し羽柴家に加入
・木曾家が滅亡し徳川家に加入
秀吉、関白就任1585年1月以降・羽柴家の当主が羽柴秀吉
・羽柴秀長が羽柴家所属
・羽柴家の所持する城が35以上
・木下秀吉、木下秀長が羽柴に改姓済み
・羽柴秀吉が関白に就任
・秀吉、秀長、秀次が豊臣に改姓
明智吸収+清洲会議+柴田吸収で35城を超える
サルとタヌキ1586年10月・「小牧長久手の戦い」が発生済み
・羽柴家の当主が羽柴秀吉
・徳川家の当主が徳川家康
・羽柴秀長が羽柴家所属
・本多正信が徳川家所属
・羽柴家、徳川家が従属していない
羽柴家と徳川家が60か月同盟小牧長久手と合わせて実質8年半同盟

秀吉の天下統一事業

四国遠征-・「頭越しの講和」が発生済み
・羽柴秀吉が羽柴家当主
・長宗我部元親が長宗我部家当主
・黒田官兵衛と羽柴秀長が羽柴家所属
・香宗我部親泰が長宗我部家所属
・長宗我部家が讃岐か阿波か伊予か土佐の城を1つ以上所持
・毛利家が健在
・羽柴家と長宗我部家が隣接
特になし1586年ころに十河か宇喜多が羽柴(豊臣)に従属吸収されると発生
元親の蹉跌-・「四国遠征」が発生済み
・羽柴秀吉が羽柴家当主
・長宗我部元親が長宗我部家当主
・谷忠澄が長宗我部家所属
・長宗我部家が土佐の城を1つ以上所持
・羽柴家の城数が11以上
・長宗我部家の城数が3以下
・長宗我部家の城が羽柴家と交戦中
・長宗我部家が羽柴家に従属
・土佐の羽柴領が全て長宗我部領になる
・讃岐、阿波、伊予の長宗我部領が全て羽柴領になる
九州攻め-・「秀吉、関白就任」が発生済み
・「元親の蹉跌」が発生済み又は長宗我部家が羽柴家に従属中又は滅亡
・羽柴秀吉が羽柴家の、大友宗麟が大友家の、島津義久が島津家の当主
・島津義弘、歳久、家久が島津家所属
・大友家が豊後の城を1つ以上所持
・島津家が薩摩、大隅、日向の城を1つ以上所持
・島津家と羽柴家の外交関係が解消
・大友家が羽柴家に従属
「元親の蹉跌」が発生すると発生
戸次川の戦い-・「九州攻め」が発生済み
・羽柴秀吉が羽柴家の当主
・長宗我部家が羽柴家に従属中又は長宗我部元親が羽柴家所属
・長宗我部信親が長宗我部家又は羽柴家所属
・島津義久が島津家当主
・大友家が羽柴家に従属中又は大友宗麟が羽柴家所属
・仙石権兵衛が羽柴家所属
・島津家久が島津家所属
・羽柴家と島津家に外交関係がない
・長宗我部信親が死亡
・島津家久が死亡
・仙石権兵衛が行方をくらます
「九州攻め」と同時に起きる
島津屈服-・「戸次川の戦い」が発生済み
・羽柴秀吉が羽柴家当主
・島津義久が島津家当主
・島津義弘、歳久、伊集院忠棟が島津家所属
・島津家の所持する城が5以下
・島津家の城が羽柴家と交戦中
・島津家が羽柴家に従属
・秋月家が羽柴家に従属
・島津義久が島津龍伯に改名
・薩摩、大隅以外の島津領が全て羽柴領になる
・島津が長期間頑張る
・真田が従属吸収されてしまう
これらの要因で羽柴プレイでないとまず起こせない
名胡桃裁定-・「天正壬午の乱」「秀吉、関白就任」が発生済み
・羽柴秀吉が羽柴家当主
・真田昌幸が真田家当主
・北条氏政が北条家当主
・羽柴家の所持する城が31以上
・真田家の所持する城が2以上
・沼田城が真田家所属
・小田原城が北条家所属
・羽柴と真田が同盟or婚姻or従属
・北条氏照、氏邦、氏直、猪俣邦憲が北条家所属
・長宗我部家と島津家が羽柴家に従属または滅亡
・羽柴家と北条家の外交関係が解消
・北条家が沼田城を制圧
政宗遅参-・「名胡桃裁定」「小次郎との別離」が発生済み
・羽柴秀吉が羽柴家当主
・伊達政宗が伊達家当主
・蘆名家が滅亡
・小田原城が北条家所属
・伊達家が羽柴家に従属
・黒川城と津川城が伊達領なら羽柴領に
小田原評定-・「名胡桃裁定」が発生済み
・「名胡桃裁定」発生から30日以上経過
・羽柴秀吉が羽柴家当主
・北条氏政が北条家当主
・羽柴家の所持する城が31以上
・北条氏照、氏直、松田憲秀、大道寺政繁が北条家所属
・小田原城が北条家所属
・北条家の所持する城が10以下
・北条家の城が羽柴家と交戦中
・北条家が滅亡し、城と武将が羽柴家に加入
・北条氏政、氏照、松田憲秀、大道寺政繁が死亡
・北条氏直、氏邦、氏規を解雇
・沼田城が真田領に

仮想イベント

イベント名発生年月条件結果備考
竹千代帰郷1549年3月・今川義元が今川家の当主
・松平広忠が松平家の当主
・松平家が今川家に従属または同盟
・松平広忠が死亡
・松平元康が松平家の当主に
8歳で登場して当主になる
義元、上洛へ1560年12月以前・今川義元が今川家の当主
・織田信長が織田家の当主
・松平元康が今川家に所属
・太原雪斎が死亡
・織田家の城数が1
・織田家の城が今川家と交戦中
・織田家の城と武将が今川家に加入
・織田信長が死亡
S3だと期間制限が短め
永禄の中興1562年5月~
1565年6月
・「日本の副王」発生から30日以上経過
・自勢力が足利家
・三好家の城数が1
・三好家の城が足利家と交戦中
・細川藤孝が足利家に所属
・松永久秀,松永久通,三好長逸,三好政勝,岩成友通が三好家に所属
・二条城が足利家所属
・三好長慶が死亡

・三好家の城と武将が足利家に加入
・松永久通,三好長逸,三好政勝,岩成友通が死亡
・足利義昭が足利家に加入
1565年6月の時点で三好家の城が3以下でも発生
松永久秀は二等級家宝を所持して忠誠4のため維持困難
甲斐の虎を下す-・「武田信玄入道」が発生済み
・「川中島の戦い」が発生済み
・「関東管領継承」が発生済み
・武田家の城数が1
・武田家の城が上杉家と交戦中
・武田家の城と武将が上杉家に加入1561年以前だと条件を満たせないので注意
越後の龍を下す-・「武田信玄入道」が発生済み
・「川中島の戦い」が発生済み
・「関東管領継承」が発生済み
・上杉家の城数が1
・上杉家の城が武田家と交戦中
・上杉家の城と武将が武田家に加入
・上杉謙信が行方をくらます
(一時的にゲームからいなくなり5年後に復帰)
1561年以前だと条件を満たせないので注意
光秀の決断1573年2月~12月・「信長・義昭の確執」が発生済み
・自勢力が足利家
・足利家の当主が足利義昭
・織田家の当主が織田信長
・細川藤孝が足利家に所属
・明智光秀が織田家に所属
・明智光秀、明智秀満、溝尾茂朝、妻木熙子、明智玉が足利家に加入実質「信長包囲網」シナリオ専用
斎藤利三は加入しない
幕府中興の祖-・「光秀の決断」が発生済み
・自勢力が足利家
・足利家の当主が足利義昭
・織田家の当主が織田信長
・明智光秀が足利家に所属
・織田家の城数が1
・織田家の城が足利家と交戦中
・織田家の城と武将が足利家に加入実質「信長包囲網」シナリオ専用
景虎の勝利-・「御館の乱」が発生済み
・上杉憲政が山内上杉家に所属
・上杉景虎が山内上杉家の当主
・上杉景勝が上杉家の当主
・直江兼続と仙桃院がそれぞれ山内上杉家か上杉家に所属
・上杉家の城数が1
・上杉家の城が山内上杉家と交戦中
・上杉家の城と武将が山内上杉家に加入上杉景勝も加入する
信長の予感1582年6月・自勢力が織田家
・観音寺城が安土城に改名済み
・織田信長が織田家の当主
・二条城の城主が織田信長
・二条城,安土城,岐阜城,八上城が織田家所属
・織田信忠,織田信雄,森蘭丸,羽柴秀吉,柴田勝家,明智光秀が織田家所属
特に無し本拠を二条城に移転すれば発生
本能寺の裏1582年6月・自勢力が織田家
・「本能寺の変」,「信長の予感」が発生済み
・観音寺城が安土城に改名済み
・織田信長が織田家の当主
・二条城の城主が織田信長
・二条城,安土城,岐阜城,八上城が織田家所属
・織田信忠,織田信雄,森蘭丸,羽柴秀吉,柴田勝家,明智光秀が織田家所属
・明智家が独立
・織田信忠が死亡
・安土城が織田家に所属し本拠となる
プレイ勢力は選べない
信長の野望・新生-・自勢力が織田家
・織田信長が織田家の当主
・明智光秀が明智家の当主
・明智家の城数が1
・明智家の城が織田家と交戦中
・明智光秀,明智秀満,斎藤利三,阿閉貞征などが死亡
・明智家の城と武将が織田家に加入
光秀の野望-・自勢力が明智家
・「本能寺の変」が発生済
・明智光秀が明智家の当主
・羽柴秀吉が羽柴家の当主
・羽柴家の城数が1
・羽柴家の城が明智家と交戦中
・羽柴家の城と武将が明智家に加入

改名イベント

イベント名発生年月条件結果備考
足利義藤改名1554年2月足利義藤が当主足利義藤が足利義輝に改名
斎藤利政改名1554年2月・斎藤利政が当主 ・斎藤高政,稲葉一鉄が斎藤家に所属斎藤利政が斎藤道三に改名
六角義賢改名1559年・六角義賢が当主 ・六角義弼が六角家に所属六角義賢が六角承禎に改名
斎藤高政上洛1557年~1559年・「長良川の戦い」が発生済み ・斎藤高政,足利義輝が当主斎藤高政が一色義龍に改名
武田信玄入道1559年2月・武田晴信,長尾景虎が当主,武田義信が武田家所属武田晴信が武田信玄に改名大志の流用
長坂光堅改名1559年2月~12月・武田信玄が当主 ・長坂光堅が武田家所属長坂釣閑斎に改名
小山晴朝改名1559年・結城政勝が当主 ・小山高朝,小山晴朝,小山秀綱が結城家所属小山晴朝が結城晴朝に改名
姉小路の名跡1559年10月・三木家の当主が三木良頼か三木自綱 ・三木良頼,三木自綱が三木家所属三木自綱が姉小路頼綱に改名創造からの流用
三木良頼改名1560年12月・三木家の当主が三木良頼か姉小路頼綱 ・三木良頼,姉小路頼綱が三木家所属三木良頼が姉小路良頼に改名
上杉政虎改名1561年12月「関東管領継承」,「長尾景虎再上洛」発生済み ・足利義輝,上杉政虎が当主 ・上杉憲政が上杉家所属上杉政虎が上杉輝虎に改名
宗麟と道雪1563年・大友義鎮が当主 ・戸次鑑連が大友家所属 ・府内館が大友家所属大友義鎮が大友宗麟,戸次鑑連が立花道雪に改名
秀吉改名1564年以降1572年以前・織田家の当主が織田信長 ・浅井家が滅亡している木下秀吉が羽柴秀吉に改名,木下秀長が羽柴秀長に改名
・小谷城が織田家所属 ・木下秀吉,丹羽長秀,柴田勝家が織田家に所属小谷城が長浜城に改名
太田資正改名1565年・太田資正が自勢力に所属太田資正が太田三楽斎に改名
石川信直改名1565年・南部家の当主が南部晴政 ・石川信直が南部家所属石川信直が南部信直に改名
松平家康改名1566年・松平家の当主が松平家康松平家康が徳川家康に改名
上杉輝虎改名1570年1月「関東管領就任」,「上杉政虎改名」発生済み上杉輝虎が上杉謙信に改名
細川藤孝改名1582年・「本能寺の変」発生済み ・織田信長が死亡している ・明智家が存在細川藤孝が細川幽斎に改名
柳生宗厳入道1593年-柳生宗厳が柳生石舟斎に改名
蠣崎慶広改名1599年-蠣崎慶広が松前慶広に改名
宇喜多詮家改名1601年-宇喜多詮家が坂崎直盛に改名

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